https://h.accesstrade.net/sp/cc?rk=0100cw3a00jc5t

「知性がある人」になるためのヒントと3つの方法

知性とは「負けない力」である

「知性とは何か」という問いには色々な答えがあります。例えば思考力、問題解決力、知能や知識、知恵と同じだと言う人もいるかもしれません。しかし小説家であり評論家でもある橋本治さんは、著書『負けない力』の中で「知性とは”負けない力“である」(前掲書p2)と書いています。

「知性」ってなんだろう?

●他者を通じてしか自覚できない

自分に知性があるのかどうかは分からないが、でも、他人に知性があるのかどうかは分かる---それが知性の第一の機能で、もしかしたら、機能はそれだけかもしれません。
引用:前掲書p191

知性は知能指数や知識量のように測定したり採点することはできません。数値化できないので、自分が自分について客観的に「自分には知性がある」とは言えません。私たちが知性について評価を下せるのは「あの人には知性がある」「あの人には知性がない」ということだけです。

しかし他人の知性を認め、理解できれば、ここで初めて「自分にはその他人の知性を認め、理解するくらいの知性はある」と考えても良いことになります。ところが他人の知性を認めてしまうのは、それと同じ類の知性は自分にはないと認めるのと同義です。

例えば新卒で入社したばかりの部下が、チームがぶち当たっている問題について「問題はAじゃなくてBだと思うんだけどなあ」と的を得た答えを呟いたとしましょう。その言葉の意味に気づいた彼の上司は、部下に礼を言い、すぐさま行動に移しました。この場合上司はこの部下の答えに行き着かなかったわけですから、少なくとも上司には「チームがぶち当たっている問題の解決策を導き出す知性」はありません。

しかし「新卒の言うことは全て的外れだ」「自分がわからない問題を新卒が解決できるわけがない」と考えていれば、この部下の知性にすら気づけません。その意味でこの上司には「部下の知性に気づく程度の知性」を持っていたのです。

このように自分の知性とは、他者を通じてしか自覚できない性質を持っています。

●「自分の中の問題」を見つけられる

「考える」というのは、問題を発見し、その問題を解くことですから、「答」を求めるのに性急な人は、その「問題とはなにか」を考えることがめんどくさいのです。
引用:前掲書p199

橋本さんは問題解決力よりも問題発見力の方に知性を見出します。「考える」という行為の中には問題の発見も含まれているため、問題発見力がなければそもそも考えることができないからです。

特に重要になるのは「自分の中の問題」の発見力です。「自分は完璧だ」「自分には何の問題もない」と思っている限り、自分について考えることはできません。

例えば「自分は完璧だ」と思っている上司は、どんなに優秀な部下がどんなに的確に問題を発見したところで、その発見の価値を認められません。人によっては「俺のプロジェクトにケチをつけるのか!」と怒り出すかもしれません。これは「自分には知性がある」と思うのと同じです。こう思ってしまうと他人の知性に気づけなくなり、結果的に「知性のない人」になってしまいます。

自分の中の問題を発見するには、常にどこかに不安を抱えていなくてはなりません。しかも漠然と不安なままでいるのではなく、時には他人の知性を借りながら、不安の正体について考える必要があります。

「不安を抱える」というとネガティブなイメージを抱くかもしれません。しかし不安は自分の中の問題発見力や知性には必要不可欠な要素なのです。

このように知性には、自省的な側面があります。

●世界の多様性を理解できる

知性は世界の多様性を理解します。でなければ他人の知性という多様性を認められないからです。知性はそのうえで世界の中に自分を位置づけます。他人の知性だけをちやほやして自分を省みないようでは、結局他人の知性に乗っかって自分の頭で考えないのと同じだからです。自分も含めた世界の多様性への理解が知性のあるべき姿なのです。

橋本さんは『負けない力』の中で、教養や知識などと知性を区別するとともに、それらがどのようにして知性と決別していったかを橋本さん流の歴史観から紐解いています。教養や知識は時に「教養や知識を持っていればエライ」と権威主義に陥りがちです。

権威主義は権威あるもの(教養や知識)こそが正しいというあり方なので、世界の多様性を理解する知性のあり方とは対極にある存在です。もちろん教養や知識がダメだというわけではありませんが、それらが知性と同一ではないことは確かです。

●「負けない力」

『負けない力』の中で説明される知性は、常に控えめです。自ら「自分には知性がある!」と言い切ることもできず、他人の知性を認めて「自分には他人の知性を認めるくらいの知性ならある」と自覚できるだけ。

あるいはすでにある問題をバリバリ解決していくのではなく、不安を抱えながら粛々と自分の中の問題と向き合う。さらには社会において重要な権威と対極にある世界の多様性を重んじる。これでは自己主張の強い現代社会で勝ち進むことはできそうにもありません。

だからこそ知性は勝つためではなく、負けないためにある力なのです。他人の知性を慎重に見極めながら、自分の中の問題発見と解決に努める知性は、自分が失敗や挫折を経験した時に必ず役に立ちます。

人生の「穴」に落ちた時に、パニックにならず、居合わせた他人に八つ当たりすることもなく、「どうすればこの穴から這い上がれるだろう」と冷静に自分の頭で考えられる力、それが知性です。自分の頭で生き抜くための力と言い換えてもいいでしょう。